2019年5月28日

疲労困憊

やっと長い連勤が終わって、本日は休み。
正直、体がしんどい。
だるだる~っと過ごしている。

仕事はもう、グダグダだ。
パートさん達は連日、前日まであった
翌日からのワースケが破棄され、出勤すると
勤務時間が延長されたり削られたり、
製造数が変更されたりに振り回されている。

1度発表されたシフトが、二転三転することは
日常茶飯事のこと。
本来、あってはならない事が当たり前の現場。

出来れば、契約時通りの一日7.5時間、
週5日平均で収めて欲しい。
そう常々ベテランさんと愚痴っていたけど、
いつしか8.5時間、9.5時間、10時間と、
シフトは延ばされていった。

私の場合、月の労働が200時間を越える
月が複数回あり、つい先日、とうとう本社の
人事部から店長へ注意勧告が入った。
基本、残業禁止の会社だし、
元より店舗の人件費も決まっている。
それを軽くオーバーしているのだから、
言われても仕方が無い。

この電話の後、私とベテランパートさんの
勤務時間が大幅に削られた。
オーバー分の調整らしい。

今年の4月から法律改正により、
基準の労働時間を越えて労働をさせた
企業には、国からペナルティが科される。

要は残業をさせるだけ、企業負担は
大きく膨らむことになるし、
ペナルティというリスクもある。

例え、36協定があったとしても、
……と言うことなのだろう。
本当かどうかは、私には判らない。
幾らでも、抜け道はあるから。

少なくとも、ストップを掛けてきたことで、
法律改正に従っていると言うこと。
実際、確実に体調がおかしくなっているので、
時間数が減るのは助かる。
あまり減りすぎるのどうかとは思うが……。
体の方が大切。

一方の旦那さんも、週に一度しかない休みで
体は悲鳴を上げている。
お互いに寝転がって、今日はダラーッと
過ごすことにした。

ネモさんもそれに付き合って、旦那さんの傍で
まーるくなって寝ている。
時々、こんな所で寝たりもするけどw

遊んでーっておねだりをする時は、
肩に登ってきても、やはり大人しい。
天然だけど、優しい子。

この子のために、明日からも頑張る。






2019年5月21日

祈り

18日に祖母の葬儀が執り行われ、
こういう場でしか顔を合わせない親戚と、
なんやかや家族のように過ごした一日だった。

私の場合、早くに亡くなった父の代理でも
あると思っているので、気が付くところだけは、
それなりにやれたと思う。
接客業をやっていて良かったと、
こういう場に出ると思ったりもする。

祖母の遺影は、私の記憶にあるいつもの顔で、
今にも語り出しそうないい顔をしていた。

棺に納められた祖母の顔は、すっかり
変わり果て、痩せこけて別人のようだった。
今年の一月までは写真と変わらぬ姿で、
その後すぐ、肺炎を何度かやり、
食事が摂れなくなっての結果らしい。

人は自然と同じく、枯れるように
体が変化して死ぬのだと、何かの本で
呼んだ記憶がある。
けどこれは、誰もが別人のようだと
言い出すくらいだった。

亡くなってから納棺するまでの3日間で、
更に変わってしまったと聞いた。

幼い頃からお世話になった親戚は、
祖母が私の母代わりだったことは知っている。
だから、とても気遣ってくれた。

泣きそうになるのを何度も堪えていると、
式の終盤、お花を棺に入れた後に泣き叫んだのは
叔母だった。

祖母と嫁姑として暮らし、色んな苦労をして
今日まで過ごした叔母にとって、
誰にも判らない想いがあるのだろう。

斎場でも同様に、叔母だけが大泣きした。
私達孫一同は、逆に冷静だった。
他の親戚の皆さんは、賑やかに賑やかに。

納骨まで済ませ、精進落としの会食も終わり、
家に帰り着いたのは19時近く。
どっとこみ上げる疲労感に、深い溜息をついた。

大往生だから、寂しいけど悲しくは無い。
本当に長いことお疲れ様でした。
有難うございます、そしてさようなら。
願わくば、真っ直ぐ天国へ行けますように。



翌日は普通に仕事で、その次も仕事。
体のしんどさは際立ってきた。
結構くるものなんだなぁ、体に。

この日は色々あって、先日辞めたばかりの
パートさんが制服を返却ついでに、
私のことを心配して会いに来てくれた。
有難い、とても。

それもあって、午後からヘルプに入った
マネージャーに、問いを投げ掛けた。
祖母が亡くなったときの、店長の発言。
人としてどうなのかと。
今回の一件で、完全に私の中で、
店長の存在は敵になったことも。

マネージャーは一瞬顔色を変え、
退勤までの時間を面談に割いた。

隠し球も全部投げた。
今一つ信じられないという反応ではあったが、
結果は数字に出ているという言葉が全て。
つまりはそう言うことだ。

後は全部、マネージャーに託した。
頼りにはしていないが、これで何かが
代わることを祈る。

ダメなら去るだけだ。
それくらいの腹は括っている。

さぁ、明日からは6連勤。
がーんばるぞー!





2019年5月14日

長い長い一日

ゴールデンウィークが終わってから、
体調が優れない日が増えてしまった。
10連休のうち、9日間は仕事。
最後は6連勤だったわけで。

休日特有の混雑ぶりに、すっかり声を枯らして、
幾度も目眩を覚えても、何とか乗り切った。
うん、乗り切れた。

職場は問題だらけで、先日マネージャーが
人が足りなくて応援に入ってくださった時に、
とうとう私は言ってしまった。
店長の数々の理不尽と横暴と身勝手な行動を。

その日は午前中は売り場で、お昼からは
厨房の日だった。
厨房に戻って、私はベテランのTさんに
その事を伝えたら、実はTさんも
マネージャーに話したいことがあると言って、
売り場へ下りていった。

パートさんに対しての、パワハラモラハラの
数々と暴言。
八割は話してきた!と、Tさん。
どうせ社員同士、庇い合うのは承知している。
けど、言わずにはいられなかったと。

外面だけはピカイチに良くて、
若い子には猫なで声で、仏の顔。
けれど毎日言うことは変わり、全ての不満は
パートさんにぶつけてくる。
流石にコチラも、我慢の限界だった。

そして昨日。
この日も昼から厨房の日。
しかし、テナント会議の時間は売り場へ
下りてきてと指示された。
正直、無茶なワークスケジュールだった。

それでも、何とか作れるだけのものを
必死に用意していたところへ電話が鳴った。
てっきり、店長からの催促かと思いきや、
従姉妹からの電話だった。

厨房に入るときは、売り場からの電話が
入るのでスマホを所持するのだけど、
まさか身内からとは思わず、
「こちらは仕事中ですよー」と、
いつもの調子で答えていた。
この時が13時半。

すると、電話口からは思わぬ報せが。
「ばーちゃんが亡くなったんだ」

えっ?
いつ??
途端に頭の中は切り替わる。

17も年下の従姉妹は、看護士。
とても冷静に、変わらぬ口調で教えてくれた。
昨日も含めて、ここ数日は問題なかったこと。
今日も見舞いに行って、戻ってきたら
施設から訃報が入ったのだと。

また後で掛けると言って、私は電話を切った。
そして、同じく厨房にいたパートさんに、
その事を伝えて、丁度店長に言われた
売り場へ下りる時間だったので下りていった。

店長に、祖母の訃報を言いたくても、
何やらずっと電話越しの相手と口論している。
きっとマネージャーとだろうが、
私が、売り場に入ったことを見届けると、
そのままテナント会議に向かってしまった。

余りにも、あんまりな展開。
私は、仲良くしてくださる隣の店舗の方に、
訃報が入ったことを報せた。
それを店長に報せたかったのにと。

皆さんビックリして、心配してくださった。
少しでも早く帰れると良いねって。

40分程が経過して、ようやく店長が戻ってきた。
そこで私は、訃報が入ったことを報せた。
もしかしたら、葬儀の日取りによっては、
シフト変更などで、迷惑を掛けてしまう
かもしれないことも詫びた。

すると開口一番。
「何か判ったら連絡下さい」

血の気が引いた。
確かにその通りだ。
けど、例え心になくても、
言うことがあるんじゃないのか?

ワンオペで、交代できなくて、
私を帰せなくても、
それでも何か言うことがあるんじゃないのか?

判っていたこととはいえ、
ショックだった。

厨房へ戻って、その事をパートさんに伝えると、
物凄く驚いて私の代わりに怒ってくれた。
私は、会議のせいでザックリ削られてしまった
仕事のスケジュールを、もはやこなすことしか
目先に浮かばなくなった。

遅れれば、店長には例え売り場でも、
人の往来があろうと怒鳴られるのだ。

明るい口調で、パートさんとは話を続けた。
帰れないことは判っているけど、
このままでは更に作業が遅れることも。

だから思い切り、パートさんに助けて貰った。
彼女も大変なんだけど、快く、洗い物の
幾つかは手伝ってくれたし、
今は実感が湧かない私を気遣って、
話にも付き合ってくれる。

まさか、令和になって最初の大きな出来事が、
4歳の時から母代わりに私を可愛がってくれて、
厳しくも優しく、面倒を見てくれた
祖母との別れとは。

脳裏に浮かぶのは、懐かしい記憶ばかり。
泣いてなんかいられないから、
パートさんと、幾ら包めばいいんだっけとか、
花代とかお飾りは幾らだとか、
ある意味、実務的な話題で同年代同士、
頭を悩ませながら仕事をしていた。

何せこの年になると、めでたいことじゃなく、
訃報の方が増えてくる。
しかし昔のように、こういう時には
こうであーでと、教えてくれる人は少ない。
お互いに、少ない経験の中から持ち寄った
知識で話をしつつ必死に仕事をこなしていた。

途中で従姉妹に電話をし、今日すぐには
帰れないことと、それでも仕事が終わったら
必ず行くことを詫びと共に伝えた。
すると、今日明日にはコトは動かないことと、
数日先になることが決まったらしい。

旦那さんには、メールで連絡をした。
この日、早上がりだった旦那さんからは、
短く「了解したよ」と返信があった。

続いて、恐らくシフトで迷惑を掛けるであろう
ベテランのTさんに電話を入れた。
Tさんは快く引き受けてくださり、
心配するなと言ってくださった。
ありがたいばかりだ。

ようやく仕事は半分終わり、後は
洗い物と床掃除とグリスト清掃だけ。
一方の彼女の方の仕事は終わり、
私は何度もお礼を言った。
この日ばかりは思い切り頼らせて貰ったから。
ありがとう、本当に本当にありがとう。

何とか掃除も終わり、ゴミも台車で運んで
片付け完了。
退勤のタブレットを押しに売り場へ下りると、
店長は休憩に入っていて、売り場は
夜番の若い子に変わっていた。

本当に、何というか予想通りだった。

そのまま、すぐ傍の洋菓子屋さんへ。
手ぶらでは行けない。
それなりに見栄えがして、
家の人が喜べるようにと、
フルーツゼリーとお菓子の詰め合わせにした。

そこへ、隣のお店のスタッフさん達が来て、
「結局、早く帰れませんでしたね……」
と、寂しそうに声をかけてくれた。
ずっと気に掛けてくださったらしい。

だから私は、
「うん、だからせめて、ばーちゃんの霊前に、
 美味しいお菓子を沢山持ってって、
 あそこの(マンスリースイーツ)お菓子も
 買っていこうかと」
と、答えた。

なんやかや、ここのテナントの皆さんは優しい。
「気を付けて行って来てくださいね」って、
見送ってくれた。

駅まで迎えに来てくれた旦那さんに、
そのまま向かいたい旨を伝えると、
一旦家に戻って余計な荷物は置いていくことに。

当初は、旦那さんは行くつもりでは
無かったようだけど、私一人で行かせることに、
物凄い胸騒ぎがしたそうで一緒に行ってくれる
ことになった。

実は私も仕事中、高速道路で事故に遭う
イメージばかりが脳裏に過ぎっていた。
きっと何か危なかったのかもしれない。

夜の東関東自動車道を走り抜け、
真っ暗な田舎道をビビりながら進んで、
ようやく祖母の待つ叔父の家に到着。

親戚は皆帰った後で、静かなものだった。
叔父に挨拶をし、横たわる祖母の遺体に
線香をあげて手を合わせる。

とても面布を外すことは出来ず、
傍に居た叔母に、お別れの時に見るから、
今は見ない、見れないと伝えた。

それから、叔母と従姉妹から、
亡くなるまでの出来事を聞いた。
苦しまなかったなら、良い。
長いこと癌と闘っていたとはいえ、
年齢的には大往生。

静かに静かに、ただ静かに
息を引き取ったのだろう。

そして、親戚の間に起きた不思議な出来事。
今日みんなに起きた、不思議な流れ。
数日前に旦那さんが感じたことが、
共通していたことに驚いた。
そう言うこともあるんだね。

帰り道。
付き添ってくれた旦那さんに感謝しつつ、
緊張の糸が少し解けたことを伝えた。

そして、職場のTさんに連絡を入れた。
葬儀は今週末の5/18。
奇しくも私は、シフトで休みの日。
だから、職場には迷惑は掛からないと。

同じく、事務的に店長にも連絡を入れ、
気掛かりは無くなった。

そして今日は、公休日。
旦那さんとのんびり過ごしている。
午後は、予約を入れていた美容室へ。
(キャンセルの予定だったけど、
 日取りが決まったので)

気を抜くと涙が零れるから、
気分転換をしてこようと思う。
すっきりと、見送るために。