2019年5月14日

長い長い一日

ゴールデンウィークが終わってから、
体調が優れない日が増えてしまった。
10連休のうち、9日間は仕事。
最後は6連勤だったわけで。

休日特有の混雑ぶりに、すっかり声を枯らして、
幾度も目眩を覚えても、何とか乗り切った。
うん、乗り切れた。

職場は問題だらけで、先日マネージャーが
人が足りなくて応援に入ってくださった時に、
とうとう私は言ってしまった。
店長の数々の理不尽と横暴と身勝手な行動を。

その日は午前中は売り場で、お昼からは
厨房の日だった。
厨房に戻って、私はベテランのTさんに
その事を伝えたら、実はTさんも
マネージャーに話したいことがあると言って、
売り場へ下りていった。

パートさんに対しての、パワハラモラハラの
数々と暴言。
八割は話してきた!と、Tさん。
どうせ社員同士、庇い合うのは承知している。
けど、言わずにはいられなかったと。

外面だけはピカイチに良くて、
若い子には猫なで声で、仏の顔。
けれど毎日言うことは変わり、全ての不満は
パートさんにぶつけてくる。
流石にコチラも、我慢の限界だった。

そして昨日。
この日も昼から厨房の日。
しかし、テナント会議の時間は売り場へ
下りてきてと指示された。
正直、無茶なワークスケジュールだった。

それでも、何とか作れるだけのものを
必死に用意していたところへ電話が鳴った。
てっきり、店長からの催促かと思いきや、
従姉妹からの電話だった。

厨房に入るときは、売り場からの電話が
入るのでスマホを所持するのだけど、
まさか身内からとは思わず、
「こちらは仕事中ですよー」と、
いつもの調子で答えていた。
この時が13時半。

すると、電話口からは思わぬ報せが。
「ばーちゃんが亡くなったんだ」

えっ?
いつ??
途端に頭の中は切り替わる。

17も年下の従姉妹は、看護士。
とても冷静に、変わらぬ口調で教えてくれた。
昨日も含めて、ここ数日は問題なかったこと。
今日も見舞いに行って、戻ってきたら
施設から訃報が入ったのだと。

また後で掛けると言って、私は電話を切った。
そして、同じく厨房にいたパートさんに、
その事を伝えて、丁度店長に言われた
売り場へ下りる時間だったので下りていった。

店長に、祖母の訃報を言いたくても、
何やらずっと電話越しの相手と口論している。
きっとマネージャーとだろうが、
私が、売り場に入ったことを見届けると、
そのままテナント会議に向かってしまった。

余りにも、あんまりな展開。
私は、仲良くしてくださる隣の店舗の方に、
訃報が入ったことを報せた。
それを店長に報せたかったのにと。

皆さんビックリして、心配してくださった。
少しでも早く帰れると良いねって。

40分程が経過して、ようやく店長が戻ってきた。
そこで私は、訃報が入ったことを報せた。
もしかしたら、葬儀の日取りによっては、
シフト変更などで、迷惑を掛けてしまう
かもしれないことも詫びた。

すると開口一番。
「何か判ったら連絡下さい」

血の気が引いた。
確かにその通りだ。
けど、例え心になくても、
言うことがあるんじゃないのか?

ワンオペで、交代できなくて、
私を帰せなくても、
それでも何か言うことがあるんじゃないのか?

判っていたこととはいえ、
ショックだった。

厨房へ戻って、その事をパートさんに伝えると、
物凄く驚いて私の代わりに怒ってくれた。
私は、会議のせいでザックリ削られてしまった
仕事のスケジュールを、もはやこなすことしか
目先に浮かばなくなった。

遅れれば、店長には例え売り場でも、
人の往来があろうと怒鳴られるのだ。

明るい口調で、パートさんとは話を続けた。
帰れないことは判っているけど、
このままでは更に作業が遅れることも。

だから思い切り、パートさんに助けて貰った。
彼女も大変なんだけど、快く、洗い物の
幾つかは手伝ってくれたし、
今は実感が湧かない私を気遣って、
話にも付き合ってくれる。

まさか、令和になって最初の大きな出来事が、
4歳の時から母代わりに私を可愛がってくれて、
厳しくも優しく、面倒を見てくれた
祖母との別れとは。

脳裏に浮かぶのは、懐かしい記憶ばかり。
泣いてなんかいられないから、
パートさんと、幾ら包めばいいんだっけとか、
花代とかお飾りは幾らだとか、
ある意味、実務的な話題で同年代同士、
頭を悩ませながら仕事をしていた。

何せこの年になると、めでたいことじゃなく、
訃報の方が増えてくる。
しかし昔のように、こういう時には
こうであーでと、教えてくれる人は少ない。
お互いに、少ない経験の中から持ち寄った
知識で話をしつつ必死に仕事をこなしていた。

途中で従姉妹に電話をし、今日すぐには
帰れないことと、それでも仕事が終わったら
必ず行くことを詫びと共に伝えた。
すると、今日明日にはコトは動かないことと、
数日先になることが決まったらしい。

旦那さんには、メールで連絡をした。
この日、早上がりだった旦那さんからは、
短く「了解したよ」と返信があった。

続いて、恐らくシフトで迷惑を掛けるであろう
ベテランのTさんに電話を入れた。
Tさんは快く引き受けてくださり、
心配するなと言ってくださった。
ありがたいばかりだ。

ようやく仕事は半分終わり、後は
洗い物と床掃除とグリスト清掃だけ。
一方の彼女の方の仕事は終わり、
私は何度もお礼を言った。
この日ばかりは思い切り頼らせて貰ったから。
ありがとう、本当に本当にありがとう。

何とか掃除も終わり、ゴミも台車で運んで
片付け完了。
退勤のタブレットを押しに売り場へ下りると、
店長は休憩に入っていて、売り場は
夜番の若い子に変わっていた。

本当に、何というか予想通りだった。

そのまま、すぐ傍の洋菓子屋さんへ。
手ぶらでは行けない。
それなりに見栄えがして、
家の人が喜べるようにと、
フルーツゼリーとお菓子の詰め合わせにした。

そこへ、隣のお店のスタッフさん達が来て、
「結局、早く帰れませんでしたね……」
と、寂しそうに声をかけてくれた。
ずっと気に掛けてくださったらしい。

だから私は、
「うん、だからせめて、ばーちゃんの霊前に、
 美味しいお菓子を沢山持ってって、
 あそこの(マンスリースイーツ)お菓子も
 買っていこうかと」
と、答えた。

なんやかや、ここのテナントの皆さんは優しい。
「気を付けて行って来てくださいね」って、
見送ってくれた。

駅まで迎えに来てくれた旦那さんに、
そのまま向かいたい旨を伝えると、
一旦家に戻って余計な荷物は置いていくことに。

当初は、旦那さんは行くつもりでは
無かったようだけど、私一人で行かせることに、
物凄い胸騒ぎがしたそうで一緒に行ってくれる
ことになった。

実は私も仕事中、高速道路で事故に遭う
イメージばかりが脳裏に過ぎっていた。
きっと何か危なかったのかもしれない。

夜の東関東自動車道を走り抜け、
真っ暗な田舎道をビビりながら進んで、
ようやく祖母の待つ叔父の家に到着。

親戚は皆帰った後で、静かなものだった。
叔父に挨拶をし、横たわる祖母の遺体に
線香をあげて手を合わせる。

とても面布を外すことは出来ず、
傍に居た叔母に、お別れの時に見るから、
今は見ない、見れないと伝えた。

それから、叔母と従姉妹から、
亡くなるまでの出来事を聞いた。
苦しまなかったなら、良い。
長いこと癌と闘っていたとはいえ、
年齢的には大往生。

静かに静かに、ただ静かに
息を引き取ったのだろう。

そして、親戚の間に起きた不思議な出来事。
今日みんなに起きた、不思議な流れ。
数日前に旦那さんが感じたことが、
共通していたことに驚いた。
そう言うこともあるんだね。

帰り道。
付き添ってくれた旦那さんに感謝しつつ、
緊張の糸が少し解けたことを伝えた。

そして、職場のTさんに連絡を入れた。
葬儀は今週末の5/18。
奇しくも私は、シフトで休みの日。
だから、職場には迷惑は掛からないと。

同じく、事務的に店長にも連絡を入れ、
気掛かりは無くなった。

そして今日は、公休日。
旦那さんとのんびり過ごしている。
午後は、予約を入れていた美容室へ。
(キャンセルの予定だったけど、
 日取りが決まったので)

気を抜くと涙が零れるから、
気分転換をしてこようと思う。
すっきりと、見送るために。





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