2019年5月21日

祈り

18日に祖母の葬儀が執り行われ、
こういう場でしか顔を合わせない親戚と、
なんやかや家族のように過ごした一日だった。

私の場合、早くに亡くなった父の代理でも
あると思っているので、気が付くところだけは、
それなりにやれたと思う。
接客業をやっていて良かったと、
こういう場に出ると思ったりもする。

祖母の遺影は、私の記憶にあるいつもの顔で、
今にも語り出しそうないい顔をしていた。

棺に納められた祖母の顔は、すっかり
変わり果て、痩せこけて別人のようだった。
今年の一月までは写真と変わらぬ姿で、
その後すぐ、肺炎を何度かやり、
食事が摂れなくなっての結果らしい。

人は自然と同じく、枯れるように
体が変化して死ぬのだと、何かの本で
呼んだ記憶がある。
けどこれは、誰もが別人のようだと
言い出すくらいだった。

亡くなってから納棺するまでの3日間で、
更に変わってしまったと聞いた。

幼い頃からお世話になった親戚は、
祖母が私の母代わりだったことは知っている。
だから、とても気遣ってくれた。

泣きそうになるのを何度も堪えていると、
式の終盤、お花を棺に入れた後に泣き叫んだのは
叔母だった。

祖母と嫁姑として暮らし、色んな苦労をして
今日まで過ごした叔母にとって、
誰にも判らない想いがあるのだろう。

斎場でも同様に、叔母だけが大泣きした。
私達孫一同は、逆に冷静だった。
他の親戚の皆さんは、賑やかに賑やかに。

納骨まで済ませ、精進落としの会食も終わり、
家に帰り着いたのは19時近く。
どっとこみ上げる疲労感に、深い溜息をついた。

大往生だから、寂しいけど悲しくは無い。
本当に長いことお疲れ様でした。
有難うございます、そしてさようなら。
願わくば、真っ直ぐ天国へ行けますように。



翌日は普通に仕事で、その次も仕事。
体のしんどさは際立ってきた。
結構くるものなんだなぁ、体に。

この日は色々あって、先日辞めたばかりの
パートさんが制服を返却ついでに、
私のことを心配して会いに来てくれた。
有難い、とても。

それもあって、午後からヘルプに入った
マネージャーに、問いを投げ掛けた。
祖母が亡くなったときの、店長の発言。
人としてどうなのかと。
今回の一件で、完全に私の中で、
店長の存在は敵になったことも。

マネージャーは一瞬顔色を変え、
退勤までの時間を面談に割いた。

隠し球も全部投げた。
今一つ信じられないという反応ではあったが、
結果は数字に出ているという言葉が全て。
つまりはそう言うことだ。

後は全部、マネージャーに託した。
頼りにはしていないが、これで何かが
代わることを祈る。

ダメなら去るだけだ。
それくらいの腹は括っている。

さぁ、明日からは6連勤。
がーんばるぞー!





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