2019年1月8日

生きて刻む時間を考える

今日は公休。
出掛けるのは無しにして、家でゆっくり。
録りためたテレビ番組を見たり、
洗濯したりといつも通り。

私が仏壇の掃除やらをした後、
旦那さんは久し振りの水槽掃除を始めた。
そのまま私も、普段やれない洗濯機の
下とか横とかの床掃除をすることに。

掃除をするというのは悪いことじゃ無い。
水槽掃除も中々やれなかったから、
旦那さんも疲れてるけどスッキリしている。

父の仏壇を掃除している時、位牌の文字を
眺めて、昔のことをふと思い出した。

父は生前、祖父が亡くなったあと、
何度も言っていた。
「俺はじーさんより早く死ぬから」

まだ小学生だった私は、そんな父の言葉を
理解出来るわけも無く……。
長生きするよって、普通に返していた。
父娘二人きり、そんな話を聞きたくも無かった。

結局、父は祖父の年齢を越える事無く、
他界してしまった。
私が30歳になってすぐのこと。

姓名判断をやっていた父は、
もしかしたら何かを悟っていたのかもしれない。
時期や死因はともかく、何かを。

その後私は、人生を歩く中で、
様々な人に出会い、あることに気が付いた。

若いときに親を失った人々は、
少なからず、親の年齢を越えることを
恐れているし、不安なのだと。

越えたときは、周囲に報せてしまうほど、
何かが解かれることも。

位牌の裏に刻まれた享年を見て、
父が感じたかもしれないこの気持ちに、
思いがめぐっていた。

姓名判断で言うならば、私は
そこそこの年齢までは生きる。
ということになってはいるけど、
そんなの判らないからね。

この、言葉に出来ない奇妙な感覚に、
漠然と囚われ、不安になったりは
しないけどw

きっと私は、越えられなかったら、
やっぱりそういうものかと思うだろうし、
越えたら越えたで同じように、
こんなもんだよなーって思うんだろう。

まさか仏壇掃除をして、ここまで
色々と思い出して考えるなんてね。
珍しい日もあるものだ。

そして明日も休みである。
クリスマスから年末年始にかけて、散々
連勤をした反動のシフトとも言う(笑)。

明日は大切な人に会いに行く約束がある。
久し振りの再会は、胸の奥がキュンとする。
とてもとても優しい気持ち。

だけど少し。
ほんの少し。
息をすることが辛くなってきた。

とりあえず、明日は楽しんでこよう。











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